発想術

そもそも、と前置きして話を始めることが最近は増えてきた。この言葉から話し始めれば、前提も何も踏まえずとも何となく含蓄があるような感じになるからとても便利だ。でもそんな小ずるいテクニックだけに由来してこの言葉を使っている訳ではない。今、俺は、話の前提を覆したくてしかたがないから。今までその場の空気で誤魔化していたような前提を疑うような真似ばかりしている。価値があるものをお金で買えるのは、価値のあるものをお金で買えるからだ、みたいな循環した状態のままほっぽらかされた話とか。ビーボよりうまいのはビーボだけ!みたいな。ああちゃんと筋のある話を書こうとしてるのに思い付いちゃったから書かずにはいられないよ!ビーボは関係ないの。というか、面白いことを考えようとして相対主義を推し進めた反動が今に来てるだけなのかもしれない。差異を際立たせて面白味を作る、というやり方を続けてきた俺に。でも面白さって勿論それだけじゃないよね。じゃあ何があるの?それが言葉にできたらそもそもこんな話してないよ。そして今日の話も良く分からないままだよ。言葉が足りなすぎるな。