あなたが既に知っている話

本屋で禁煙セラピーという本を読んだ。僕自身は煙草は吸わないのだが、本屋の「売れてます!」コーナーに置いてあったことと、帯に印刷された品川庄司の品川の「僕も止められたよ!」的な文言が気になったので何となく手に取った。立ち読みでパラパラって読んだ感じでは「煙草は害毒でしかない」「というか麻薬だ」「広告による洗脳で貴方は吸わされている」「ていうかそもそも必要ないしね」ということが何度も書いてあったような感じだった。僕はセラピーってどんなもんだか知らないんだけど、セラピーってこういう物なんだったろうか。僕は煙草を吸ったことがないし、煙草を止める苦しみがどんなに辛いか想像が付かないけど「あなたがやっている事は間違っている!」「騙されている!」「そもそも必要ない!」というプロセスはそのまま洗脳と同じプロセスなような気がした。「お金に振り回されるのなんて馬鹿らしい!」「お金が大事だなんてのは共同幻想でしかない!」「そもそもお金なんかいらない!」「なのでその要らないお金を私にください」の最後の部分が無いだけなような気がしたんですが、最後の部分さえなければいいのかな。煙草を止めたくて、でも止められない人には有効な手段だからいいんだろうか。目的もずれてないし。

じゃあ洗脳でないものなんかがこの世の中にあるのかしら?と問われるとそれはそれで窮する。煙草を止めた人は同じプロセスであらゆる娯楽を止めることが可能なのだろうか?「本なんか読んでも何にもならない」「広告による洗脳で貴方は読まされている」「ていうかそもそも本なんか必要ないしね」みたいな事も言えてしまうのだろうか。そこまで突き抜けた人は小売業者がみんな、己の財産であるところのお金を奪おうとする餓鬼にしか見えなくなるのだろうか。お買い物している人たちを見て、物を知らない馬鹿だなあくらいに思うのだろうか。馬鹿が騙されて買い物してらあって思うのだろうか。その人はブランド物を買い漁る人たちを白眼視する人たちと何が違うのだろうか。じゃあ必要なものって何だよ、必要でないものって何なんだよ。必要ないから止めるべきって言っていいのかよ。悪いのかよ。どっちでもないのかよ。何が違うんだよ、何も違わないのかよ。

そんなことを考えながら本屋をふらふらしていたら、ゼロの使い魔の新刊が出てたので即買いした。