俺は怒っているんだぞドッカーン!

大学に入って一人暮らしを始めたために、おうちの周りの立ち読みできる本屋がゼロになり、毎号楽しみに読む雑誌が皆無になってしまったここ数年の俺だったのだが、半年前から月刊アスキーが渇きを癒してくれた。新創刊されてからというもの月刊アスキーはIT雑誌のくせに、ガジェット紹介やチョイ悪ツール紹介やどっかの大企業システム礼賛やプログラム講座が無い、端的に言うと、マシンを使ったビジネスの話ばかりが載っている、俺にとってベリー面白い作りになったのだ。すてき。海外の記事が若干どうでもいい感はあるものの、大体の記事が楽しく読めるいい雑誌だな、よし、そろそろ定期購読を、と思っていたのだが…

何だよ!今月の第2特集の「新世代コンシューマーを狙え!」ってのはよ!内容を大体かいつまんで説明すると最近の若者を世代と性別でバッサリ分けて「独身王子」だの「ままとなでし娘」だのの造語を交えてそのライフスタイルを紹介…ってくだらねえ!世代論にもほどがあるよ!援助交際世代の俺から言わせてもらえば本当にどうでもいい!ITでもビジネスでもない!ていうか若者をとりあえずユーモア溢れる造語で紹介って文化は本当に死に絶えて欲しい!そんなんをどれだけ書いてみたところで自由国民社*1は見向きもしませんよ!いや書いた奴は仕事だから仕方がない!ちょっと、アスキーさんよ!こういう薄ぼんやりした「マーケティング」を駆逐するためにITがあるんじゃなかったのかよ!こんなたわごとをありがたがらなくても済むようにDBに顧客情報を貯め込んできたんでしょうが!こんな記事は書店の棚に山ほどある日経なんちゃらのどれかに任せとけばいいんです!月刊アスキーは他にやることあるでしょうが!もっと地に足の付いたことを書いてください!もしくはビルゲイツが未来を語ってください!次もこんな調子だったら先生、もう、買いませんからね!

*1:流行語大賞を発表する会社

めちゃイケ春スペシャル感想

いつもながら良くできていた。めちゃイケの特番は周りのことを考えずにハードルをどんどん上げるので、他の番組の人は大変だろうなと思う。


ここからはネタバレを含みます。ドッキリにネタバレもなにも無いような気もしますが、気にする人は読まない方がいいんじゃないかしら。





めちゃイケのドッキリ企画を見る上で、一番最初に考えなければいけないのは「我々はドッキリ企画に何を求めているのか?」ということだ。ドッキリ企画とは言うまでもなく「仕掛け人がターゲットを騙し、騙されたことを知らないターゲットの行動を観察する」というような一連の企画なのだが、果たしてこの企画は何が面白いのだろうか?騙された人が居る、だから面白い、と我々の反応は直結しているのだろうか?そんなことは無い。我々はターゲットの行動を見ているのである。馬鹿なことをしている奴を笑う。ドッキリそのものの描写はそれを見るためのあくまでも設定、お膳立てである。

では、ドッキリに「ターゲットは騙されている」という事前情報は必ずしも無ければいけないものだろうか?他のドッキリについては分からないが、こと、今回のめちゃイケのドッキリについては必要ないのではないか。なぜなら、我々が楽しんでいるのは「騙されて馬鹿なことしてる!ホント馬鹿な芸能人!」では決して無く「鈴木紗理奈(以下、紗理奈)の気持ちが分かる」と「この後、この話どうなるんだろう?」の二点に集約されるからだ。その証拠に紗理奈は今回のドッキリ企画では一切、能動的な行動を起こしていない。やべっち寿司のウソ収録において、無理をしてわさびやタバスコ入りのお寿司を食べる場面があるが、あれは仕事(ウソ収録だが)で与えられた役割を果たしているだけである。そのほかは変わっていく周囲の状況を見て表情を変えていくだけで、言葉数すら少なかった。ここで「騙された人がとるこっけいな行動」が無かったことは確認しておきたい。紗理奈の心情のみが類推されクローズアップされ、共感を呼ぶようにテロップやナレーションが入れられていた。また、他のドッキリ企画の多くで行われる「VTRに入る前の筋書き説明」はほぼ無い。視聴者は次の展開も分からずに紗理奈と同じタイミングでストーリーを知ることになる。この情報の与えられ方はドッキリの作法とは大きく違う。というより「登場人物に共感し、次の展開を待つ」という楽しみ方はそのままドラマのそれである。

今回のドッキリでも「ウソ企画」「〜〜という設定です」というテロップを何度も登場させ、設定の話と本当の話を分ける努力をしている。しかし、仮にそこに「紗理奈は騙されている、という設定です」という文言が入っていても実は面白さは殆ど変わらないだろう。なぜならドラマだから。「紗理奈演技うまいなあ」と楽しめるに違いない。番組中に何度も演技の巧拙の話が出てきているのもそういう意味だ。「バラエティ番組を舞台にしたドラマ」と「映像特典である俳優のコメンタリー」が最初から混ざっているようなものである。ちなみに別のめちゃイケスペシャル企画の「中居正広日本一周」では、番組最後に「この番組はフィクションです」という丁寧な注意書きまで入れられるのが慣例になっている。*1

ドッキリはシーンが進むごとにフィクションであることを隠そうとしなくなる。喫茶店では加藤が吹き出し、スタジオではスタッフの手によってパネルが操作され、コーナーテロップまで安っぽく雑になる。終盤の病院のシーンでは加藤と矢部が喧嘩になるシーンはドッキリのクライマックスなのであるが二人の演技は、紗理奈を騙す演技ではなく、台詞をなぞったドラマの演技になっている。しかしこの時点で「こんなんじゃ紗理奈にバレちゃうよ!」と見ている我々は誰も思わない。ストーリーの行く末が気になっている我々はそんな些末なことは気にならないし、紗理奈にバレることがないのは百も承知だ。ドッキリから始めてしまった手前、番組最後にネタばらしはする。しかし、ネタばらしのシーンで貴方が笑ったのは、騙された紗理奈が崩れ落ちるのを見たからではない。誘い笑いのプロ、濱口が張り詰めたシーンを一気に弛緩させたからだ。

おそらくドッキリ企画の多くの場合、ターゲット(として放送されているタレント)はドッキリ企画を事前に知っている。なぜならその方が作りやすいから。本当に騙して撮った場合と、完全台本の場合で成果物が似たような物になるのなら、安く上がる方で作るのが正しいだろう。「事実である」ことは少なくともエンターテインメントには何も寄与しない。そして、バラエティがそうして作られていることを視聴者側も知っている時代、「事実である」というお墨付きに乗っかって映像を作ることが出来なくなった時代に、ドッキリをどう作るべきか。事実でないことを暗に確認しながら、ターゲット役の行動に依存しない、事実でも事実でなくても楽しめるストーリーを展開させていくめちゃイケの一連のドッキリ企画は、その問題の一つの答えになっている。

ここまでの話から、我々は何を寄るところにしてバラエティを見ればいいのだろうか?何を信じればいいのか?関西テレビのやったことは許されるのか?という話にしてもいいのだが………別に何を信じても信じなくても、我々の生活に何も支障はないのでどうでもいいだろ。面白くなる方を信じれば良いんじゃないかしら。こんな風にだらだらと裏読みして楽しい人はそうすればいいし、「騙された紗理奈かわいそう、ほしのあきムカつく」と共感するもよし(余談だが、昔、ドラマで不倫する女を演じた裕木奈江は、女性からもの凄い反感を買ったそうだ、役柄なのに)、加藤浩次の濃すぎる演技に失笑するもよし。でもどうせ俺の日記を好んで読みに来る奴なんてのは、みんながみんな裏読み派なんだろうと思いますので、今回はこんなことを書きましたよ。裏読み派の方は、今回のドッキリ企画はどこまでが台本か、を各自提出宜しくお願いします。俺の中では、ほしのあきがロケバスの中で「オッパイ小さくなっちゃった」と言う部分のみがアドリブで、他はオール台本ということになっています。ていうかさ、スカイダイビングの現場で「風強いね」って台詞を言わせるために、わざわざカメラからは映らないところで風起こし機を回すこだわりは異常だと思いますよ(妄想)。

*1:めちゃイケドッキリ企画と似たような構造を取っているが、アプローチがドラマ寄りだったのが一昨年にTBSで放送された日本のこわい夜〜特別編〜。バラエティ番組の収録中に心霊現象が起きる、という設定のドラマなのだが、ユンソナだけにはドラマだと知らせていません(つまりドッキリ)というもの。見てないから概要しか知らないけど。

久しぶりに

完全に予定が何も無い土日を迎えてしまった。午前中に洗濯が終わったら本格的に何にもない感じだ。何にもすることがない。どうしようかしら。でも今日のめちゃイケは春のドッキリスペシャルなので見なければいけないことは確実だ。今年の春ドッキリは鈴木紗理奈がターゲットなので見なければいけないことは確実だ。録画しながら見るのは確実だ。あと、昨日からモスバーガーがリニューアルをしたらしいので食べに行きたいことも追記しておきたい。春服も買いに行きたいところだ。Tシャツが足りない。それからWindows2000をいい加減にWindowsXPにしたいのだが、今XPを買ってもまだVista無料アップグレードの権利が付いてくるのだろうか?Vista発売になったからキャンペーンはもう終わったのか?そこらへんを調べておきたい。あと、ロート製薬の曲に合わせればだいたいの三文字の言葉は軽快に連呼できることが先週分かったのだが、それでも軽快に連呼できない言葉を調べておく作業がペンディングになっているのだが、これは別にやらなくていい。

乗り切れる

フォローの言葉が思いつかないような失敗談、身近な変人紹介、四面楚歌に陥ったよ話、など返答に困る話を聞いてしまったときは目を細め首を傾けながら

「いや〜、でもそれでこそ人間、って感じだよね〜」

と言って乗り切ってきました。何となく話がまとまったような気がする魔法の言葉です。意味はよく分かりません。あと、何となく偉そうです。

青春の光

ファミレスに行くと、どこに行っても同じ有線放送のチャンネルに合わせられていて、今あなたの頭に思い浮かんだあの曲があのアレンジで流れている。ファミレスで長い時間を雑談して過ごした俺のような若者にとっては、FMで流れていたポップスよりも長い時間長い期間聴く羽目になっていたはずなので、十何年か後の若者たちの共通体験があのぼんやりした曲にならないか心配だ。

地域の断絶

3月18日から首都圏の私鉄やバスではIC乗車券システム/電子マネーシステム"PASMO"がカットオーバーし、それと同時にJR東日本のシステム"Suica"との相互利用も開始される。これに伴い連絡定期券もおサイフケータイで使用可能に、ということで私鉄沿線に住む俺から熱い視線を集めている。先月読んだ月刊アスキー*13月号の電子マネー特集には関西圏のICOCA(JR西日本)やPiTaPa(関西の私鉄とバス)も紹介されていたので、これも相互利用できるんだよね?と思ってWikipediaを読んでみたら大変なことになっていた。

ICOCASuicaの乗車券相互利用は出来るけど電子マネーとの相互利用は出来ないとか、PASMOICOCAは相互利用出来ないとか、JR東海TOICAとは相互利用出来ませんとか、岡山電気軌道のHarecaが使用できるエリアではICOCAが使用できるけど逆は出来ないとか、静岡鉄道のLuLuCaPiTaPaの一部エリアでしか使えないとか…これらにオートチャージとかのクレジット機能とポイントカードシステムとかの話を乗っけるとさらにこんがらがってくることが予想されるのでもう止め!止め!システムを作っている人はとんでもねえ目に遭っていそうな気がするよ。クレジットカード会社への連絡とそれぞれの会社のポイントシステムが動いているところに「返品・払い戻し」とかの処理を加えるのとかどうなってしまうのか。というか、こんだけ複雑になると鉄道マニアの一形態として異様に乗車券相互利用に詳しい「鉄カードちゃん」が今後、出現しそうな気配だ。というかWikipediaに詳細に書いている人が多分それだ。事態を収拾するには日本政府が満を持して日本銀行ポイントカードを発行するしかないと思うよ、もう。

*1:余談だが、新創刊後の月刊アスキーは、地に足の付いたお金とITの話しかしないので非常に読みやすい。ビジネス誌マネー誌にありがちな「シリコンバレーが爆騰銘柄で日本経団連がどうしたこうした」みたいな投資と政治の話が入ってこないのが嬉しい。あと、マネーの虎に出演していた社長の連載がスリリングだ。「中小企業がトヨタ流の人材育成術真似たって、そもそもそんな優秀な人材は大企業行っちゃうし仮に入ったって居着かないよね」みたいな話を書いているので身も蓋もない。余談終わる